日々是好日 パロディのパロディ

歴史小説は小説なので、史実に限りなく忠実ですが、表現している内容は虚実を含みます。

それを分かったうえで、ドラマを見て、この作家の表現はよく分かるとか、ドラマとしておもしろいとか言いますね。

先日、マンガの「大奥」を読んでいて、これはパロディとわかっているのに、そうか、あの歴史の裏にはこんな事が!とか一瞬思ってしまい、自分にびっくりするやら、すごい作品力だなぁと思ったり。

そりゃ、オスカル様は実在の人物と思われるはずだなぁ、とか(笑)

誰もが知る芸術作品や歴史上の人物や史実を賛美したり啓蒙したりして、多少の脚色を加えて作品たらしめることを、オマージュと言ったりパロディと言ったしますが、何かに影響を受け、それをさらに作品に昇華したうえで、影響を与えてくれた対象の存在を強調することができたとしたら、それはオマージュやパロディの本骨頂、なにに影響を受けたかを明言することはそれを目指してるからです。

でもなぁ

何に影響を受けたかを、自分自身で作品を生み出すときに明確に覚えている人は多くないと思うんだよなぁ

なんの蓄積もない子供に絵筆を持たせても、偶然の産物以外でなにかを生み出せる確率は高くないと思うので、ひとつの対象に影響を受けて生み出された結果は、さらに誰かに影響を与えて、さらに何かを生み出して、そうして連綿と神経のシナプスみたいに広がっていくものが、広く拡散されて常識化した状態が、文化とかって言うんだとしたら、文化の根幹はパロディでありオマージュであったりしないかな。
きれいごとのようだけども。